中大父母連埼玉県支部OB会
親睦行事(深川周辺散策)
2019年11月2日(土)

 去る11月2日(土)、2019年秋の親睦行事として、深川周辺の散策を行いました。当日は17名のメンバーが門前仲町駅から徒歩約5分の「深川東京モダン館」に10時前に集合し、江東区のまちあるきツアー「深川佐賀町・永代橋コース」のボランティアガイド2名の方に案内して頂き、深川周辺を散策しました。昼食後は、有志のメンバーで清澄庭園の見学も行いました。

 以下に、この日の様子をご紹介しますので、ご覧下さい。


【改修工事中の永代橋の横で墨田川をバックに全員で記念撮影】


【散策前の様子】

  この日の集合場所の「深川東京モダン館」は、関東大震災の復興事業の一環として昭和7年に建てられた「東京市深川食堂」を改修した建物で、食堂としての役割が終わった後も、職業安定所や内職補導所、障害者通所授産施設として活用されてきましたが、平成18年に役割を終え、解体するかどうか検討した結果、昭和初期の近代建築を今日に伝える貴重な文化遺産であるとして、江東区は保存と活用を決めたそうで、平成20年には国登録の有形文化財(建造物)として認定された建物です。ここでこの日歩くルートや江東区の成り立ちなどの説明をして頂き、それから、2班に分かれて街へ繰り出しました。

※写真をクリックすると拡大してご覧頂けます。

【散策中の様子(前半)】

  深川東京モダン館を出発して、北西方向に進み突き当りの車道を左折したところで「伊能忠敬住居跡」の説明を受けたのを皮切りに、次の一万円札の肖像画に決まっている澁澤榮一の「倉庫発祥の地」、「佐久間象山砲術塾跡」の説明を受け、大島川西支川沿いを歩いて紀文稲荷神社にお参りしてから「深川正米市場跡」「赤穂浪士休息の地」を経て、東京オリンピック・パラリンピックに向けて改修工事中の永代橋のたもとに到着しました。天気が良かったこともあり、墨田川対岸の景色がとても美しく、水面を進む水上バスや正面の日本橋川の合流点左右の街並みに見とれてしまいました。

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【散策中の様子(後半)】

  永代橋の下をくぐり墨田川テラスで2班が合流し一緒に記念撮影をしてからまた、それぞれガイドさんのペースで散策を再開しました。記念撮影は、タワーマンションのハシリとも言われている中央区の高層マンション群をバックに撮りたかったのですが、逆光がきつく、冒頭の写真の場所となりました。2班が分かれた後は、墨田川テラスを少し歩いてからすぐに堤防の内側に入り、遊歩道沿いに設置されている、江戸時代から今までの400年間の江東区の変遷を示したパネルを眺めながら歩きました。その後、巽橋を渡り、大島川水門を右手に眺めながら大横川沿いに「水辺の散歩道」を進み、この日のゴール地点、黒船橋のたもとで解散しました。解散後は午後の集合場所の深川不動堂門の場所を確認してから、それぞれの昼食場所へ向かいました。

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【午後の様子(清澄庭園散策)】

  昼食をそれぞれの場所で済ませた後、午後の部に参加されない1名の方を除く16名が、13時40分に深川不動堂門のところに集合し、清澄通りを30分ほどのんびり歩いて清澄庭園まで移動しました。途中、仙台堀川の手前に松尾芭蕉の銅像があり、同姓の当会会長が一緒に記念撮影しました。
  清澄庭園に到着するとそれぞれで入園料(@150円、65歳以上70円)を支払い、ボランティアガイドの方に連れられて庭園の中に入りました。
  パンフレットによれば、一説に江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、享保年間に下総国、関宿藩主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られ、そこを明治11年に岩崎彌太郎が買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園し、その後大正13年に東京市(当時)に寄付され、昭和7年に「清澄庭園」として開園したとのことです。ガイドさんの説明によれば、岩崎彌太郎という人は石を集めるのが好きだったとのことで、園内には全国から集めた珍しい石(岩)があちこちに配置されていて、広い池の大泉水とともに庭園を引き立てていました。池の周囲を1時間ちょっとかけて一周し案内して頂きました。

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 見学後は、全員で記念撮影した後、松尾会長から幹事さんへの労いの挨拶があり、三々五々解散となりました。


【見学後、全員で記念撮影】


散策に参加された皆さん、お疲れ様でした!
今回は深川周辺清澄庭園でした。
都会の街並みの中に歴史的な史跡がたくさん
あることが発見出来ました。
幹事さん、有難うございました!
次回もよろしくお願い致します!

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